カテゴリ:エセーのせかい( 22 )

    東京・代官山ログロードをゆきかう人々は実に多彩で、ヨーロッパはもとより、アラブ系など、キリスト教文化圏からイスラム系まで、思想・宗教もさまざまで、ニッポンも今や、多国籍社会に移行したかに見える。 

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      久しぶりの、東京・代官山の未来派的都市空間の渦中、アートラッシュのミニチュアの世界へと、時空を超えて、こころの旅しました。



        東京・ログロード代官山の、ちょっとふしぎなアートの世界を想わせる、赤いくつ下のある風景は、いったい何を呼び覚ますでしょうか。










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by lotusflower7 | 2016-11-21 16:56 | エセーのせかい | Trackback | Comments(0)

アイヌ神謡集

知里幸惠の『アイヌ神謡集』を紐解いています。

梟の神の自ら歌った謡
「銀の滴降る降るまわりに」
の神話的世界に惹き込まれます。

繰り返し語られる
昔貧乏人で今お金持ちになってる者
というフレーズが象徴的です。

貧しいものが、コツコツ日々、努力して長者になる
話は、日本の昔話でもよく語られました。

今も、昔は貧しかったが、懸命に必死に生きて、競争に打ち勝って、夢をかなえ、大企業経営者になる

そんな『生き方という本に、大衆は感動し、見習おうという人も多いでしょう。

まさに
昔貧乏人で今お金持ちになってる者
の成功物語です。

かの大企業経営者の人生哲学が、臆面もなく語られた『生き方から
彼の本音

今、貧しいものは、怠けていたからだ、自業自得だから、助けなくていい。

がありありと伝わってきます。

しかし
知里幸惠の『アイヌ神謡集』では

昔貧乏人で今お金持ちの子は、望みかなって、
今、貧乏人の子を、大笑いし、こころのへだて作り、
争いやまず、平穏とは遠い、人間の国となる。

今の日本という国に生きる人たちの心模様でしょう。

神様の鳥を射当てたものは、お金持ちになるという望みをかなえるのでなく、
お金持ちも貧乏人も、へだてなく、平穏に暮らし
みんな仲良くすること
というを望みをかなえる。

梟の神の望む人間の国のすがたです。

今の時代も変わらず大切なことが、そこに語られていると思います。

アイヌ神謡集
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by lotusflower7 | 2016-09-03 22:48 | エセーのせかい | Trackback | Comments(0)

「新明解国語辞典」の、俗人の定義が、まさにリアルすぎて、面白い。


①高遠な理想を持たず、すべての人を金持と貧乏人、知名な人とそうでない人とに分け、自分はなんとかして前者になりたいと、そればかりを人生の目標にして・暮らす(努力する)人。

②天下国家の問題、人生いかに生きるべきかということに関心が無く、人のうわさや異性の話ばかりする人。

③高尚な趣味や芸術などに関心を持たない人。


新明解国語辞典 第4版

金田一 京助(編集),山田 明雄(編集),柴田 武(編集),山田 忠雄(編集)/三省堂

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英語のsnob

成り上がりの俗物紳士なのか、さながら日本では、「真田丸」でも話題の、太閤秀吉の姿とも重なり合う。しかし、なぜかそんな秀吉を、今も、庶民は好きなのだ。


しかし、俗人の到底できない、むつかしいえらい修行をやり遂げた高僧が、行の自慢話や、絵の値段が上がった、下がったなどの話しかせず、俗人よりもはるかに俗物ぶりを発揮するのは、人生不可解か。


「新明解国語辞典」で、俗物の定義は


「俗人」を、さらにけいべつしていう言い方。「あいつは全くのーだよ:ー性」


まさに、学窓にして庶民感覚あふれた辞書なのだ。


平安の世なら西行、鎌倉時代の兼好法師、江戸の良寛、そして近くは今も、宮沢賢治が多くの人の心を打つのは、


俗人の到底できない、むつかしいえらい修行をやり遂げた

からではなく、まさに


人生いかに生きるべきか


これひとつに真剣だったからだろう。


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by lotusflower7 | 2016-08-19 23:27 | エセーのせかい | Trackback | Comments(0)

ゲーテ格言集から

人生は、いかに平俗に見えても、またいかに日常陳腐なもので容易に満足するように見えても、やはり常に、あるより高い要求をひそかに抱き、養い続けており、これを満足させる手段を探している。

山と谷を越え、
迷いに迷いをかさねたのち、
再び広野に出るが、
そこはまたあまり広すぎて、
いくばくもなくまた新たに
迷路と山を求める。

人生は悪しき冗談なり。
ゲーテ「西東詩集」から

人生は色どられた影の上にある。
ゲーテ「ファウスト」から

ゲーテ格言集から




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by lotusflower7 | 2016-08-02 10:39 | エセーのせかい | Trackback | Comments(0)

風と光と二十の私と

風と光と二十の私と

私はいつも神様の国へ行こうとしながら地獄の門を潜ってしまう人間だ。
ともかく私は始めから地獄の門をめざして出掛ける時でも、神様の国へ行こうということも忘れたことのない甘ったるい人間だった。…
私はずるいのだ。悪魔の裏側に神様を忘れず、神様の陰で悪魔と住んでいるのだから。今に、悪魔にも神様にも復讐されると信じていた。…

坂口安吾「私は海をだきしめていたい」から

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by lotusflower7 | 2016-07-30 13:57 | エセーのせかい | Trackback | Comments(0)

どこへ向かって走るか、なんてわからない。でも、人生行路を、いっしょうけんめい走ることこそ、素晴らしい。
もし、それが人生なら…太宰治のワンフレーズが、いつもリフレインします。


……けれども、それでも走りたいのです。いのちがけで、やってみたいのです。誰にほめれれなくてもいいんです。ただ、走ってみたいのです。無報酬の行為です。幼時の幼い木登りには、まだ柿の実を取って食おうという慾がありましたが、このいのちがけのマラソンには、それさえありません。ほとんど虚無の情熱だと思いました。それが、その時の私の空虚な気分にぴったり合ってしまったのです。
 私は局員たちを相手にキャッチボールをはじめました。へとへとになるまで続けると、何か脱皮に似た爽やかさが感ぜられ、これだと思ったとたんに、やはりあのトカトントンが聞えるのです。あのトカトントンの音は虚無の情熱をさえ打ち倒します。

...

「人生というのは、一口に言ったら、何ですか」
と私は昨夜、叔父の晩酌の相手をしながら、ふざけた口調で尋ねてみました。
「人生、それはわからん。しかし、世の中は、色と慾さ」

太宰治『トカトントン』 から


ヴィヨンの妻 (新潮文庫)

太宰 治/新潮社

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by lotusflower7 | 2016-07-30 13:52 | エセーのせかい | Trackback | Comments(0)

愛の狩人は 鷹に似て高きより獲物を狙う ジル・ヴィセンテ


いきなり心を矢で射るフレーズ

コロンビアのノーベル賞作家 ガルシア・マルケスの『予告された殺人の記録』の冒頭の詩である。

...

自分が殺される日、サンティアゴ・ナサールは、司教が船で着くのを待つために、朝、五時半に起きた。やわらかな雨が降るイゲロン樹の森を通り抜ける夢を見た。夢の中では束の間幸せを味わったものの、目が覚めたときは、身体中に鳥の糞を浴びた気がした。


ガルシア・マルケスは

まさに

人生そのものの、哀しみと怖さを、短い冒頭の一節で、呼び覚ますのだ。

それにしても、人の心に深く迫る文学のテーマが

人生の楽しみや喜びよりも、苦しみや哀しみなのは、なぜだろうか?


予告された殺人の記録 (新潮文庫)

G. ガルシア=マルケス/新潮社

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by lotusflower7 | 2016-07-29 09:47 | エセーのせかい | Trackback | Comments(0)

生き物を殺す楽しみ

生き物を殺す楽しみ


カントと同時代、十八世紀ドイツの、ミュンヒハウゼン男爵の
『ほらふき男爵の冒険』
から、
ちょっと私たち日本人の感覚からは、呆然とする

...

生き物を殺す楽しみ

が語られていました。


これは別の機会になりますが、さる結構なロシアの森で、滅法美しい黒狐にばったり出あった。その素晴らしい毛皮は、ふつうの弾であれ霰弾であれ、もし穴などあけていたら、何とも惜しく無念でありましたろう。みれば狐の大将殿のすぐそばに一樹が立っている。そこにワガハイ咄嗟に銃身から弾をぬき出したもんだ。代わりに入れたはでっかい板釘、バンとうつ、見事ワガハイ件の樹幹に、奴さんの尻尾をしっかりうちとめたのであります。そこでワガハイは悠然と近づき、猟刀をば抜くと奴さんの顔面を十字に切ってやった。そのうえで、鞭もつてさばき鮮やかに、ハッシハッシと打ちなめす、と遂に、かの美しい毛皮から中身顔面スルリとぬけ出たのであります。見るも愉快、まさしく奇蹟ともいうべき事ではありました。


生き物を殺すことを

見るも愉快、まさしく奇蹟
とゲーム感覚で楽しむ文化風土に驚きます。

そこには、殺生することへの罪悪感は全くありません。
牛や豚など家畜は、神が人間の食べ物として作ったからでしょうか?

ミュンヒハウゼン男爵の『ほらふき男爵の冒険』は、まさに、そんなヨーロッパ文化の核心が、ユーモア感豊かに、表されているようです。


ほらふき男爵の冒険 (岩波文庫)

ビュルガー(編集),Guttfried August B¨urgar(原著),新井 皓士(翻訳)/岩波書店

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by lotusflower7 | 2016-07-29 09:41 | エセーのせかい | Trackback | Comments(0)

オスカー・ワイルドの『獄中記』が、私たち日本人の心を撃つのは、

キリスト教文化圏の中で、同性愛の廉で罪に問われ、投獄された個人の体験を超えて


癒えることなき病で、出口なきトンネルをゆくかのような
苦しみ悩む人の心の風景を、鮮やかに照らし出すからなのだ。

...

われわれにとっては、ただ一つの季節、悲哀の季節があるだけである。太陽や月さえも奪い去られたかのように見える。外では空は青く光は黄金色に見えるかもしれないが、鉄格子の小窓の下に腰を下ろしていると、厚く蔽われたガラス戸を通して這い落つる光は灰色でほんの僅かである。囚人の心の中が常に薄暗いように、獄房の中は常に薄暗い。


獄中記 (角川文庫ソフィア)

オスカー・ワイルド/角川書店

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by lotusflower7 | 2016-07-29 09:35 | エセーのせかい | Trackback | Comments(0)

美しく、悲しく、残酷な童話集『幸福な王子』で知られる、十九世紀末、イギリスの作家、オスカー・ワイルドの『獄中記』の冒頭の一節


……苦悩はいとも永い一つの瞬間である。それは季節によって分かち得ない。ただその気分を書きしるし、その繰り返しを記録しうるのみである。われわれ囚人にあっては、時それ自身は進行することなく、回転するのみである。あたかも苦痛という中心の周りを廻っているようにも見える。


ビクトル・ユーゴーは、私たち人間を、「不定の執行猶予のついた囚人」...
に例えたが、

オスカー・ワイルド描く『獄中記』は

まさに、そんな囚人である私たちの人生を象徴する一節に見える。


同じことを繰り返し、今日という一日が終え、明日もまた同じ日が繰り返し…死という日まで


ゴールなき円周トラックをまわるランナー


流転輪廻は、洋の東西を超えた人生の真理なのだ。


獄中記 (角川文庫ソフィア)

オスカー・ワイルド/角川書店

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by lotusflower7 | 2016-07-29 09:26 | エセーのせかい | Trackback | Comments(0)

花のまなざしから、こころに響くアートのセカイ、描きます 


by HANA