カテゴリ:アートのせかい( 28 )

回顧から再生へ

写真展「回顧から再生へ」 丹沢美術館にて

HANA


私が、この美しい地球という星に生を受けたのは、10月はたそがれの国、名古屋の大学町だった。

落ち着いた町の、自由な雰囲気の静かな環境で、ナチュラルな都市空間をテーマに写真を撮り始めた。父は美術史家だった。

比叡山の千日回峰の行者さんから聞いた「一隅を照らす」という言葉が、何となく心に響いた。その頃の私は、「いま」「ここ」ではない「どこでもないどこか」に居場所を見つけようとしていた。

そして、2000年を過ぎる頃、遠く北の果てで、写真作品作りをしていて、種差海岸の造形に出会った。それは地球的規模の造山運動の縮図、ミニチュアの世界風景だった。その頃の、私は「どこか」遠くの、未来に幸せを探していた。

そして、2009年、秦野に帰ってきた私は、丹沢美術館に人生の居場所を見出した。千佳・花・沙羅の三姉妹の猫も家にいた

しかし、2016年の暮れ、突然の肺がん手術で入院した。良き外科医に恵まれ、生還した私は、人生の原点を実感を通して知らされた。

それは、比叡山の「一隅を照らす」という言葉であり、子どもの頃読んだ、中村元先生の「ブッダの言葉」の一節だった。西巻一彦さんの「紡ぐ」から新たに見出した。

過去を追わざれ 未来を願わざれ

過去はすでに捨られ 未来は未だ至らず。

……

今日なすべき事のみを熱心になせ

誰か明日の死を知らん……

私は、ガンから生還して、秦野で、「いま」「ここ」に幸せが届いていることに気づくことができた。


ナチュラルライフアート写真

ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫)

中村 元(翻訳)/岩波書店

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by lotusflower7 | 2017-11-15 16:55 | アートのせかい | Trackback | Comments(2)

富山の風光


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秋の紅葉

十月の佳き日に、富山の美しき風光に出会った。
自然は一瞬の光陰の中で、イングリッシュ・ガーデンを想わせる、色彩の宇宙を魅せていた。
古今東西変わらない宇宙の真理を知らされたひとときだった。

2012.10.21

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by lotusflower7 | 2016-10-31 19:12 | アートのせかい | Trackback | Comments(0)

私のそら

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お久しぶりです、十月はたそがれの国、私の誕生日も過ぎゆく頃、お元気でお過ごしですか。

丹沢の麓も水清き、落花生の街・秦野の、ギャラリーぜんで
独特な細密な描写で、物語を呼び覚ます世界を作っている、個性的な画家・井深達朗君と作品展をひらくことになりました。

空をテーマとした写真作品を出展いたします。

こちらへ見えるとき、ありましたら、ぜひお立ち寄りください。

お会いできる日、楽しみにしてます。

2016.11.3(水)~8(火)
10:00am~5:00pm

ー 私のそら展 ー
柏瀬八峰、井深達朗

繊細な感性と、鋭敏な観察眼を持つ二人の作家たち
二人が見つめ、独自の表現手段で視覚化した精神世界

ぎゃらりーぜん 日赤病院前
秦野市立野台1-2-5 十全堂ビル2F tel 0463-83-4031
秦野駅南口より、2番バス 日赤病院前下車 徒歩2分

よければ案内いたします。





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by lotusflower7 | 2016-10-13 20:10 | アートのせかい | Trackback | Comments(0)

アートの共通感覚

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茅ヶ崎のSZKギャラリーの「花の画展」


鴉久義さんとSENAさんのコラボレーション作品は、自然の造形
のふしぎさの中に、ひとのこころをいやす波動が伝わってきました


それは、今という時代に生きる私たちの共通感覚かもしれません。



自分のまわりの世界との違和感に気づくとき


だれもわかってくれない
自分の居場所がない


の思いは強くなります。


そんな時、


自分のまわりの社会を変える
自分のこころの向きを変える


ふたつの異なる方向があります。


アートの世界は、どちらでしょう
か。






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by lotusflower7 | 2015-06-27 18:03 | アートのせかい | Trackback | Comments(0)

アートの合言葉


アートの合言葉

二十世紀のアートの合言葉は、自分独自の表現を社会にぶつけてゆく、というものだった。
大学でもメディアでも、他人真似ではない独創的な表現が、常に求められていた。

いかに、他人にはできない自分しかない個性を出すか
に作家の人生は賭けられていた。

新しい表現こそが価値だった。

ひとのこころをいやすことと、異なる地平でアートの流れは展開していった。

オレはこれだ、とつかむことが求められていた。

作品の感動も、それを軸に廻っていた。

戦後からの、ニッポンの思想界は、サルトルの実存主義とマルクス
の社会主義の、二つの中を廻っていた。

しかし、80年代を過ぎる頃、思想界は一挙に無風状態となり、ア
ートの世界も、何でもあり、になりめざすべき方向を見失った。

しかし、21世紀の幕が明けてから、時代の流れは大きく変わった

「自分独自の表現を社会にぶつける」より
「ひとのこころをいやすこと」が、アートの合言葉となった。

アートにあたらしさより、こころのやすらぎを、ひとはもとめてい
るのだろう。

現代思想の難しい言葉よりも、

やさしさをもとめて、アートのセカイに触れるとき、ひとは

本当の幸せって何だろう。
自分の居場所はどこにあるの


ピュアーな問いをひとは発している。


山田耕筰の「赤とんぼ」のメロディーが、茅ヶ崎の街角に流れる頃、ひとのこころをいやす、アートの射程はどこまでも届くだろうか。

2015.6.24


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by lotusflower7 | 2015-06-24 20:38 | アートのせかい | Trackback | Comments(2)

人形の呼び覚ますこと


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茅ヶ崎のSZKギャラリーに、ふたりの人形が舞台に現れた。


人形を見ていると、気づくことがある。



楽器ケースから取り出されて、居心地の良い場所に置かれると、表
情も生き生きするように


ひともまた、自分が生き生き過ごせる、居場所を、きっと探し求め
ている、ということを


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そして、ひとりさみしかった飛行機の旅が、となりの席に伴侶が来
てくれると、会話が弾み、楽しい空の旅になるように


人形は、私たちの人生を映し出す、はっと気づく、出来事でした。


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by lotusflower7 | 2015-06-24 20:27 | アートのせかい | Trackback | Comments(0)

時計草の都市

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時計草の都市


あたらしき世紀もしばし過ぎる頃、茅ケ崎の街角は、えぼし麻呂に象徴されるほんわかしたユーモア感が基調となった。

都市空間は自然と人工の絶妙なバランスの中で、思いもよらぬ未知の世界を呼び覚ます。

赤とんぼの哀愁が、加山雄三通りに流れ、サザンビーチへ誘う。

時計草の都市は、きょうも新たなメロディーを刻んでいる。

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茅ヶ崎の街角のSZKぎゃらりーの「花の画展」に、わたくしもフォトブック「グラスアートのふしぎな世界」を出展しました。
窓硝子に風姿を映す、ニッポンの小さな薔薇は、何を物語るのでしょうか。


茅ヶ崎の街角のギャラリーで作品に逢うことができます。





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by lotusflower7 | 2015-06-17 23:23 | アートのせかい | Trackback | Comments(0)

花の画展



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茅ヶ崎の街角も、アロハシャツの似合う季節となりました。


細く長く命華やぐ華奢な百合水仙は、超スリムな女性のふしぎな美しさを、よびさまします。わたくしも「花の画展」に写真作品


時計草の都市


を出展しています。


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by lotusflower7 | 2015-06-17 21:36 | アートのせかい | Trackback | Comments(0)
2004年冬の日弘前のまちはいちめんの吹雪であった。駅に降り立った旅人は、大通りをイトーヨーカドーまでゆくと、いつのまにか小学校の敷地に入ってしまった。
あたりは地図のないまちに変貌し、上下左右がなく方向感覚を喪った。雪の中でまどろむ感覚はどこか甘美だった。
雪化粧のまちをWindowの中のマヌカンのような細身の女性が颯爽と歩いてゆく。
たまたま見つけた美容室で道をきいてレトロな時計台を望みつつ紀伊国屋書店にゆきあたった。あたりは静けさのなか細かい雪がちらほらと舞っていた。



弘前の冬は通りすぎるひとびとのためにまちの雪をきれいに整えてゆく。やがて澄んだ春の空気が雪を溶かす季節になると、まちはいっせいにパステルカラーに花ひらく。
スカイ・グレイ、グラス・グリーン、ライラック、ローズ・ピンク、リリー・ホワイト、ハイカラな装いが雪に洗い清められたWindowの風景にかいま見える。



冬のまちはやがてくる春の予感を秘めてそこに佇んでいる。そして時を忘れたころたどり着いた煉瓦造のスペース・デネガでは雪雄子の舞踏「巫女歌」が催されていた。
2003年春「5月の塔」で幕を開けた『隙間の宇宙・星の韻』の最終章であった。



現代美術作家・村上善男の印象的なフレーズ「津軽は幻視幻想が日常的に起こりうるところです」は、ほんとうだった!
ぼわっと立ち昇る風があたりをよぎり、目に見えるこのセカイの隙間から目に見えないものが不意に姿を現わすのだ。
2004年冬の弘前をゆく旅人は土手町の坂をついに見失い、カフカの見えない城のように、いつまでも弘前城にたどり着くことはなかった。
そんな吹雪の日、旅人は津軽の雪女を見たのだった。


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by lotusflower7 | 2014-12-27 16:30 | アートのせかい | Trackback | Comments(2)

赤とんぼのメロディー


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「赤とんぼ」を作曲した山田耕筰は、かつて茅ヶ崎で暮らしたことがあった。今も、湘南の街角では、午後四時半になると、赤とんぼのメロディーが流れる。
歌の遺伝子は、時代を超えて、加山雄三から桑田圭祐へと、湘南の浜辺の砂のように、受け継がれてゆく。


2014.9.1、茅ヶ崎の街角も、終わりゆく夏の日と秋草の音色が、不思議に同居していました。

朝顔は、ニッポンの抒情歌のように、通り過ぎるひとたちに、こころにゆるりと伝わってきます。

山田耕筰の「赤とんぼ」の抒情的な旋律が、宵も過ぎる頃、茅ヶ崎の街角に流れます。

湘南の浜辺を想起する造形から、一粒の砂に永遠を見る、感受性の原点がありました。

茅ヶ崎市民文化会館の一階ホールにて


2014.9.2




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by lotusflower7 | 2014-09-02 21:00 | アートのせかい | Trackback | Comments(0)

花のまなざしから、こころに響くアートのセカイ、描きます 


by HANA