私の生きものがたり

私の生きものがたり

HANA

いま、最も大切なのは、新たな時代の《想像力》ではないか?

雛祭りも過ぎる弥生の佳き日、はたちの猫、ナナちゃんと和やかな時を共有した。百年もの歳月を経た、雛調度と箪笥の見守る、ゆるやかな時の流れの中、籐椅子で過ごすはたちの猫の姿形から、受け継がれてゆく家族の歴史を彷彿とさせた。

そんな新春の或る日、命の絆の大切さを気づかされる象徴的な出来事があった。

2017323日(木)、秦野のギャラリーぜんでひらかれた「俺の丹沢」を見にゆく。とりわけ印象に深く刻まれたのは、丹沢の山あいの道に現れる「鹿」の写真だった。

それは、のどかな里山のほのぼのとしたワンシーンかのように見えた。しかし、話を聞くと、丹沢の鹿の数が激減している。貴重な山の植物を食い荒らすので、猟銃で撃たれて駆除されているという。

森は手入れされず、荒れ果てて、鹿も居場所を失い、食べ物がなく里へ降りてきて、農作物を荒らす害獣になっている。もし、人に危害を加えたらという危惧から、熊も簡単に射殺されている。あまりにも粗雑な、杓子定規な対応に唖然とする。

秦野の山間でも、第二東名建設のため、山が切り崩され、懐かしい里山の風景が、跡形もなく消えてゆき、鹿もやはり駆除されてという。

時を同じくして、巨大霊園建設のため、渋沢丘陵もすでに破壊されてしまった。

最近の開発に、ある種の空虚なトーン、リアリティのなさを感じるのは、私だけだろうか。

それは、私たちの生きる時代の《想像力》の衰退を物語るエピソードではないだろうか?

美しき花の舞台では、今日も蜘蛛と蟻の命のドラマが繰り広げられている。

田舎家の台所では、猫とねずみのいたちごっこが展開されている。

畑の葉っぱの上では、群生する毛虫と追い払う人間の手の駆け引きがされる。

丹沢の麓では、不意に現れる狸のユーモラスな姿がペーソスを誘う。

忠実な番犬に、子どもが咬まれて、命を落とすこともある。いたずら好きの猫と遊んでいて、引っかき傷に皮膚科へ走ることもある。

そんな時でも、見境なく犬、猫を駆除しようという企ては聞かれない。命の絆の大切さに私たち人間は気づいているのだ。

熊や鹿が里山に出現しても、大丈夫であるような、より丁寧な自然とのかかわりが必要ではなかろうか。

里山は、そこに暮らす生き物たち、熊、鹿、狸にとって住み心地良い時、実は人間にとって住み良い環境になるのだ。

命の絆を大切にする《想像力》こそ、今、切実に求められているのではないだろうか?

ナチュラルライフアート写真

わたしと小鳥とすずと―金子みすゞ童謡集

金子 みすゞ/JULA出版局

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大漁

朝やけ小やけだ

大漁だ

大ばいわしの

大漁だ。

はまは祭りの

ようだけど

海のなかでは

何万の

いわしのとむらい

するだろう。

金子みすず童謡集 『わたしと小鳥とすずと』から



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by lotusflower7 | 2017-11-15 16:25 | エセーのせかい | Trackback | Comments(0)

花のまなざしから、こころに響くアートのセカイ、描きます 


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